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2578m
2578m。日光白根山の高さである。先程来、私はこの高みにいる。夏の日差しを全身に浴びつつ、うつらと。
何と気持ちのよい午睡だろう。登りの労苦はすでに忘れ去った。下りの難儀さは考えないようにしている。ひたすら、まどろもうと。
2578m。一人だけの山頂である。いや正確にはもう一人(?)いる。私のへばりついた岩肌から30mほど離れた岩峰に。
よくもこんな高みまで飛んできたもんだ、と先程から感心して見ている一羽のカラス君だ。もともと飛ぶのを商いとするカー君のこと、
地球の引力に逆らって登ってくる人間の方こそ、何でまたご苦労に、と呆れ返って見ているのかもしれない。
このカー君、どうしたことか、ずっと岩峰に居座ったままである。時折、アーともカーともつかない声を出すが、どうも私のご機嫌をうかがっているようである。
「2578mの高みまで、お前は何をしに来たんだ。弁当の残りを当てにしているのか。いくら居座っても、ほら、こっちの食いものは、さっき口の中へ放り込んだオニギリでお仕舞いだ。
生憎と残っているのは梅干しの種だけだ。そのほかに、振ればポチャンといい音のするアルコールがあるが、こいつだけはお前の飲めたものではないよ。
少しでも口に含めば、麓のねぐらまで、思い通りの遊覧飛行はできまい。さて、もうひと眠りをするか。カー君、悪いけど鳴きわめいて午睡の邪魔をするなよ」。
「フン。何が邪魔するなよだ。もとはといえば、オレが昼寝を楽しんでいる所へ、のっそのっそと顎を出さんばかりに登って来たのではないか。
さっき下山した連中が、あんたの寝ている岩の下方へ食べものの残りを捨てて行った。オレはちゃーんと見てたんだ。
そいつは有り難いとほくそ笑んでな。そしたら何だ、そいつに向かって小便を放ったのではないか。チクショウ。ひと雨でも降って、そいつを洗ってくれなくては食べれん。
でもこんなピーカンの天気じゃ雨は期待できない。仕方がないから別の食いぶちでも探すとするか。じゃ、あばよ。カー(あほう)、カー(あほう)・・・・。
一人だけの山頂。男体山を初め、周囲の山々を眺めながらのうたた寝は気持ちよいものだ。
太陽がぎらつくのは眩しいが、山頂をそよ風が渡り、背に感じられる岩肌のひんやりした感触が実に心地よい。時折、時計をのぞく。あと何分いようか。
そんな考えがちらつくが、深くは考えない。じっとしたままである。
それにしても、この山頂の地形は何とも複雑にできている。巨岩があちこちに突出し、頂上を印す標識がなければどこが最高点なのか分かりにくい。
また窪地がいくつかある。これは火口跡であろう。わずかに水を湛えた所もあった。
2578m。記録に見る白根山の噴火は1625年(寛永2)に始まり、その後に数回噴火し、最後は1889年(明治22)のそれ。
山麓に住む村人は山の鳴動に驚き、避難騒ぎになったそうな。
現在の標高は、その時の噴火によるものと思われる。そうすると私は今、噴火から95年を経た頂上にいることになる。
95年・・95歳。地史を見れば、生まれたばかりの赤子に等しい。山頂付近の樹木は生い茂る時間が足りなかったらしく、
背の低い草々が、赤黒い山肌のあちこちにわずかに生えているだけ。まるで赤子の産毛みたいである。
ところで明治22年といえば、私は数年前に90歳で他界した祖母のことを思い出す。祖母の生誕年だったと記憶していたからだ。
祖母は、つまりは2578mの白根山と同年生まれということになる。
「90歳まで生きたんだから大往生だ」。
周囲の多くはそのように語ったが、この自然の赤子・・・・白根山にそのことを聞かせてあげたら、
人間の一生という年月を、岳はどのように受け止めてくれるであろうか。
2578m。私はこの90歳の頂上で、そんな他愛のないことを考えていた。飽きることなく、まどろみつつ。

*1983年・・初めての日光白根山。 コラムは後に、『山の文芸誌 ベルク』( ? 号) に掲載。(手元に掲載本がない)
当時は丸沼ゴンドラが運行されていなくて、湯元温泉から登山。
湯元温泉-中ッ曽根-五色山-白根山-前白根山-外山-湯元温泉と周回。
累計標高差1380m。現在のゴンドラ往復の倍以上。ガイドブックのコースタイムは8時間30分~9時間。